コラム連載一覧

<中里清志 ヨーロッパ大陸自転車単独横断をふりかえって>
-「65歳のチャレンジ」出版1年にあたり-

第13回:スペイン編(その3)

 スペインの旅も最終盤に。草木のない赤茶けた地表がむき出しの裸のシェラネバダ山脈の山々を横に見ながら、炎天下を進んで行きました。6月も中旬を過ぎ気温も上がり、 午後の日差しが高いときには、日射病のように頭がくらくらするときもありました。そんなときは、地中海の広く青い海を見るのが、心の癒しになりました。偶然、二人連れの日本人のサイクル仲間に遭遇し、 2日間行動を共にしました。観光地を離れたスペイン南部の片田舎で日本人に会ったことにびっくりし、久しぶりに日本語で話すこともでき、うれしいひとときでした。3人では、 この旅行最大の悪路、砂利続きの崖道を、自転車を押したり持ち上げたりして進みました。一人では心細くなる見知らぬ荒涼とした道も、心強い仲間と共に乗り切ることができました。
 世界遺産・アルハンブラ宮殿のある観光地グラナダを見学したいと思っていましたが、日程的に寄っている余裕がなくなり、残念ながらカットしました。古くローマ時代からイベリア半島の重要な 貿易の中心地であったマラガの街で宿泊し、海岸線から内陸の古都ロンダをめざしました。浅間山のような独立峰を中心とした「シエラ・デ・ラス・ニエベス自然公園」の裏側の道をあえぎながら 登って行きました。1日の走行距離が120kmに達し疲れもピ-クになるなか、車も人も通らない山道で岩に腰をおろし、汗をふきながら食べた一個のオレンジの体にしみいるような味わいは今でも 思い出に残っています。
 スペイン南部に広がるアンダルシア地方の断崖絶壁の上に建つ要塞の街ロンダの周辺は、自然公園が多いところでした。アメリカの西部を思わせる広々とした大地に、ひまわり畑や麦畑が広がり、 遠くに岩山が続き、絶景の連続でした。天候にも恵まれ、初夏の風を受けて最高のサイクリングの旅となりました。次の街セビーリャに向かう途中の田舎の村モンテシャノでは、村に一軒しかないバーの 2階のホテルに泊まり、バーで夕食をとりながら地元の人たちと会食。片言の英語も通じず、お互いにまったく言葉が分からないなか、唯一わかったのが、風が吹いてテーブルクロスがまくれ上がり、 「ツナミ!」と地元の人が言ったときでした。「津波」は3・11の東日本大震災以来、万国共通の言葉になっているようです。
 アンダルシア地方の中心都市セビーリャでは、世界遺産のカテドラルやヒラルダの塔を見学し、街中でフラメンコも見学しました。
 予定のコースから少し寄り道をして、日本人の子孫が暮らすという村「コリア・デル・リオ」に寄りました。この村は今でも700人の日本姓(ハポン)の人がいるそうです。それは、 1613年(慶長18年)に伊達政宗の命を受け、宣教師派遣と通商を求めて、武将「支倉常長」率いる180名からなる慶長遣欧使節団が現・宮城県石巻市「月の浦港」を出帆したことに始まります。 一行は、太平洋を横断し北アメリカのメキシコ・アカプルコに到着し、北アメリカに上陸し陸路で大西洋岸のベラクルス(メキシコ)に移動、ベラクルスから大西洋を渡り、スペインをめざしました。 そして、スペインのサンルーカル・デ・パラメーダに到着し、小型帆船に乗り換えてガダルキビール川を遡上して、この村「コリア・デル・リオ」に上陸しました。その後、スペインの首都マドリードで エスパーニャ国王フェリペ3世に謁見し、さらに、イベリア半島から陸路でローマに至り、ローマ教皇パウル5世に謁見し、伊達政宗の書状を渡しています。ローマでは、ヨーロッパを正式に訪れた最初の 日本人として熱烈な歓迎を受け、常長はローマ市民権を与えられ、ローマ貴族に列せられました。今から400年前のことです。歴史のロマンを感じます。
 常長一行は、7年後日本に帰国し伊達政宗に報告しました。しかし、徳川幕府のキリスト教禁止令が発せられ、常長が持ち帰った品々は、キリシタンに関わるものとして仙台藩に没収され、 決して表に出さないように厳重に保管されることになりました。このため、支倉常長の業績は評価されることなく、失意のうちに帰国2年後に52歳で没しています。支倉家は嫡男・支倉常頼が 継いでいましたが、弟と召使い3人がキリシタンであったことの責任を問われて処刑され、支倉家は断絶しています。歴史の悲劇です。その後、約250年もの間、慶長遣欧使節の存在は 忘れさられていましたが、1873年(明治6年)に、明治政府がヨーロッパとアメリカに派遣した岩倉具視の使節団によって、訪問先のイタリアで、支倉常長の書状を知らされ、ようやく業績が 認められるようになりました。17世紀当時、世界各地を植民地支配していた大国スペインに対し、貿易交渉等を堂々と行った日本人・支倉常長は、明治以降ようやく日本でも知られることになったのです。
 この町のハポン(スペイン語で日本)という苗字について、現地の記録によると、慶長遣欧使節団が訪れる以前にその苗字は存在しておらず、ハポンを名乗る人は慶長遣欧使節団の訪れた後だということが 分かっています。また、慶長遣欧使節団の名簿によると13名の日本人が帰国していないことが分かっています。
 帰国に際し、すでに日本では、キリスト教が禁止されていることから、戻るに戻れないと判断した者もいたようです。現在のスペインにいるハポンを名乗る人々は、慶長遣欧使節団の子孫かもしれません。 日本とヨーロッパとのつながりを改めて感じることができました。
 さて、「コリア・デル・リオ」の村では、雑貨屋などが並ぶ村のセンターで地元の人々に日本名の人はいないか聞いてみましたが、まったく会うことはできませんでした。売店で会ったスペイン女性が、 「フクシマ!フクシマ!」と言いながら案内してくれた近くの川沿いの公園には、支倉常長の立派な銅像が立っていました。銅像を見上げながら、飛行機のない時代に船で、 しかも言葉が十分に通じないなか、よく遠くヨーロッパまでやってこられたなあと改めて感嘆しました。また、常長の時代とは異なるけれど、私も一人自転車でアジアのトルコからヨーロッパ大陸を横断して、 ここにたどり着いたことを少し誇らしく感じました。いつの時代も、世界を知りたいという未知の世界への好奇心、冒険心が人を動かすのだと思います。
 支倉常長の時代から400年、世界はずいぶん狭くなりました。船で3ヵ月もかかった太平洋横断も、飛行機なら1日で着いてしまう時代になりました。人や物が自由に行き来する時代になりましたが、 半面、強国が世界を支配する時代にもなりました。さらに、現代は人類全体の生存が危ぶまれる時代とも言えましょう。先日ニューヨークの国連本部で開催された「核兵器全面廃絶につながる国連会議」では、 世界123ヵ国が賛成し、核兵器を禁止する法的拘束力のある協定を早期に締結する国際的な合意の達成に向け、全世界が動き出しました。しかし、アメリカをはじめ核保有大国と日本などの同盟国はこの 「国連会議」をボイコットしています。いまの国際情勢は、アメリカなどの大国だけの力による外交だけでは動かなくなっています。多くの国々が自主的に主権にもとづく相互の国を尊重する対等な 国際交流協議によって動き出しています。その交流協議の中心の舞台が国際連合になっています。日本政府は、被爆国でありながらアメリカに追従して会議に参加をしません。国内では、 安倍政権は北朝鮮の核の脅威をあおって、戦争する国づくりを押し進めています。北朝鮮に核兵器放棄を迫るうえでは,国際的な禁止条約の締結によって核兵器を「違法なもの」とし、 核兵器の使用を封じ込めることが、一番現実的な選択だと思います。今後も、地域で核兵器廃絶の国際署名の推進などに取り組んでいきたいと思います。
 さらにこの間、安倍内閣は森友学園の国有地売却問題で、国民が望む真相究明に背を向け、与党の自民党・公明党・日本維新の会とともにもみ消しを図っています。一方で、国民の内心や信条の 自由を脅かす「共謀罪」の今国会での成立を図ろうとしています。「共謀罪」での「東京オリンピックのテロ対策」とか「国際組織犯罪防止条約批准のため」などの安倍政権が持ち出した口実は、 ウソであることが明らかになっています。一般の人を含む国民の電話やメール・ラインの盗聴・監視など、市民監視の「警察・取り締まり国家」をめざすものです。安倍政権はこの間、 多くの国民の反対の声を無視して、教育基本法の改悪、秘密保護法・戦争法(安保法制)を強行してきました。戦争する国づくりに邁進する安倍政権のこれ以上の暴走を許すわけにはいきません。 市民の怒りの声を結集して、地域からも「市民と野党の共闘」をすすめていきたいと思います。
  旅はスペインを無事通過し、次回は最終目的地ポルトガルの地に入ります。
(なかざと きよし・元AOI<上尾桶川伊奈>労連議長、
                   現・憲法九条を守る上尾共同センター代表)


  偶然会った日本人のサイクル仲間 
  と悪路で悪戦苦闘。       
  
 
  自然公園の登り坂でイタリア人の 
  若者から励ましの言葉をかけられ、
  元気をもらう。

  神秘的な街、断崖絶壁に立つ古都 
  ロンダのシンボル「ヌエボ橋」か 
  ら崖下をのぞむ。
 
  スペイン南部のセビーリャ手前の 
  自然公園では、絶景の連続で景色を
  楽しみながら通過。

   ひまわり畑が広がり、つい一休み。
   
   
 
   広々とした牧草地の田舎の村。宿屋
   は1件。地元の人とは英語も通じず
   四苦八苦。

 慶長遣欧使節団の支倉常長等が日本から
 やって来て上陸したコリア・デル・リオ
 のガダルキビール川沿いの船着き場。
   
 
   使節団が上陸した川に面したカルロス
   ・デ・メサ公園で、川に向かって建つ
   支倉常長の銅像。     

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